漫画家・白土三平!
1957年作に巴出版から『こがらし剣士』でデビュー。
しかし、まもなく巴出版が倒産。
そこで貸本漫画を出版していた日本漫画社の長井勝一と出会い、つぎつぎに漫画を発表します。
忍者モノだけではなく、戦後まもない時代にハンデを負いながら懸命に生きた少女たちを描いた作品も執筆。
忍者モノだけではなく、戦後まもない時代にハンデを負いながら懸命に生きた少女たちを描いた作品も執筆。
被爆した少女を描いた『消えゆく少女』や混血のためイジメに遭いながらも懸命に生きる少女を描いた『からすの子』。
涙無しには読めません(T_T
涙無しには読めません(T_T
やがて長井勝一は三洋社を立ち上げ、白土は『忍者武芸帖』を描きます。
数々の名作を世に送り出した巨匠でありますが…
アニメ『サスケ』のエンディングテーマにこんなフレーズがありますね~
1人のサスケが 2人のサスケに 3人に 4人に 5人 10人♪
そして白土自身にも多くの分身たちが存在します。
まずは岡本鉄二。
『ルパン三世』のモンキー・パンチに弟・加藤輝彦がいるように、『あさりちゃん』の室山まゆみに妹の室山眞里子がいるように、白土三平にも実弟の岡本鉄二がいます。
古くから兄の作品に参加はしていましたが、あくまで裏方に徹しており名前が表にでることはありませんでした。
『カムイ伝 第二部』から"作・構成 白土三平 画・岡本鉄二"と表示されるようになりました。
白土によれば鉄二の"モチベーションを上げるため"ということのようです(^^
白土によれば鉄二の"モチベーションを上げるため"ということのようです(^^
最近では『カムイ外伝 再開』などで白土作品の絵師として活躍していますね。
1961年、三洋社を解散した長井は、青林堂を起こし、引き続き白土作品の単行本を出版していました。
そこで白土は新たな構想を長井に語ります。
それが代表作のひとつ『カムイ伝』!
これを連載するために長井は「月刊漫画ガロ」を創刊します。
水木サンが描いた白土(左)と長井(右)
毎号多いときは100ページにもなる大作。
しかも「ガロ」は白土自身も発行者でもあるため原稿料が出ません。
ということは『カムイ伝』以外にも他の雑誌に作品を発表して稼がなければなりません。
そこで白土は「赤目プロ」を立ち上げます。
この作品で白土は原作と構成に徹します。映画でいうところの絵コンテ、デザイン、撮影、監督、プロデューサーといったところかな。
そして肝心の絵を誰が書くか…
この作品で白土は原作と構成に徹します。映画でいうところの絵コンテ、デザイン、撮影、監督、プロデューサーといったところかな。
そして肝心の絵を誰が書くか…
白土風の絵が描ける漫画家でないといけません。なにより白土名義の作品なので、自分の名前が表に出ない。それでも描いてくれる人を見つけなければ…
そこで白羽の矢がたったのが小島剛夕と平田弘史でした。
二人とも貸本の頃より活躍した時代劇漫画の巨匠。
二人とも貸本の頃より活躍した時代劇漫画の巨匠。
「オール怪談 69」小島剛夕特集
平田弘史『侍』
二人は白土風の絵の作品を競作。
結果、白土よりも先輩の小島が『カムイ伝』のメイン作画を担当することになります。
『カムイ伝』は人気となり、小島はその他の雑誌からも白土風の絵で漫画を依頼されるようになります。
その際は諏訪栄というペンネームで描いていました。
その際は諏訪栄というペンネームで描いていました。
『片目柳生』(諏訪栄名義)
正直嫌だったでしょうね。
後年、こんなことを語っています。
「画風を私の弟子に似せ、ペンネームで発表ということになる…」
弟子ってのは白土のことですね(^^;
弟子ってのは白土のことですね(^^;
とはいえ、ここでの経験が後に『忘八武士道』『子連れ狼』といった人気作を生み出したのかもしれません。
『忘八武士道』
さて、小島が『カムイ伝』を描いている間、その他の白土作品の作画を担当したのが、前述した岡本ともう一人。
小山春夫!
1953年にデビューした小山は'60年頃から白土の影響をうけ、似たような絵で多くの作品を描きます。
『はやて剣之助』('58)
この頃はまだ白土風ではありませんね~
そして赤目プロ加入直前。
『真田十勇士 猿飛サスケ』('64)
白土風でありながらも小山らしさが出た頃の作品です。
そして白土三平にスカウトされ赤目プロへ。
岡本とともに『カムイ外伝』、『ワタリ』などの作画として活躍します。
『ワタリ』第3部からは岡本・小山コンビの作画
『カムイ外伝』
忘れちゃいけないのが『源とツグミ』!
身寄りのない4人がともに助け合いながら元気に生きる、笑いあり涙ありの物語。
身寄りのない4人がともに助け合いながら元気に生きる、笑いあり涙ありの物語。
連載第一回目の扉には”掟やぶりのギャグストーリー”の文字。
『うる星やつら』『めぞん一刻』の高橋留美子が「少年サンデー史上最も心に残る作品」と絶賛するほどの名作です。
2011年に単行本化された際にも、その帯には…
2011年に単行本化された際にも、その帯には…
どれだけ好きなんだ~っ!高橋留美子ぉ~っ!!(焔燃の口調で)
雑誌以外にも小山作品は以外なところで読めました。
小学館入門百科シリーズ「名犬なんでも入門」。
小学館入門百科シリーズ「名犬なんでも入門」。
戸川幸夫の直木賞受賞作『高安物語犬』のコミカライズです。
まんだらけZENBU No.14では小山の特集が組まれ、ロングインタビューも収録されましたね。
お次は楠勝平。
一度は赤目プロで白土の手伝いをするも65年頃に一本立ちします。
月刊漫画ガロ 1967年6月号『参加』
その後68年に再び赤目プロに入り、自身の作品を発表しながら、「少年サンデー」の『サスケ(リライト版)』のメイン作画を担当。
『サスケ(リライト版)』
「少年」に連載されていた『サスケ』を、アニメ化にあわせて楠が完コピして描いたもの。
なぜ白土の原画を再掲しなかったんだろう…
内容は白土版とほぼ同じなので、楠のリライト版は単行本化されていません。
なぜ白土の原画を再掲しなかったんだろう…
内容は白土版とほぼ同じなので、楠のリライト版は単行本化されていません。
表紙や扉などに楠らしいサスケの表情を見ることができる
ほかにも「小学一年生」「小学二年生」のサスケも楠がメインで描いていました。
『サスケ(小学一年生版)』
そんな楠ですが持病の心臓弁膜症が悪化。
1974年に30歳という若さでこの世を去ります。
自身の作品をたくさん発表していた「月刊漫画ガロ」では追悼特集が組まれ、佐々木マキら多くの作家たちが別れを惜しみました。
月刊漫画ガロ 1974年6月号
ここまでの白土、岡本、小島、小山、楠の5人が赤目プロの中心メンバーとなります。
さらに…
谷郁夫。
68年、小島が『カムイ伝』から離れると、岡本や小山をはじめ赤目プロの面々が作画を担当することになります。
この頃から扉に作画スタッフの名前がクレジットされるようになります。
岡本、小山とともに谷郁夫の名前があります。
こうして『カムイ伝』の作画を担当した谷も後に独立し、谷いくおを名乗ります。
別冊アクションに連載された『ザ・だっきんボーイ』などちょっとエッチな作品で人気を博しました。
別冊アクションに連載された『ザ・だっきんボーイ』などちょっとエッチな作品で人気を博しました。
成人雑誌にも描いてましたなぁ
漫画エクスタ 1980年10月号『すたこら道中 幕末マン遊伝』
いけうち誠一。
66年に赤目プロ入り。『ワタリ』『カムイ外伝』などを担当しました。
その後、月刊漫画ガロ 1967年6月号に掲載された『反乱』(池内誠名義)でデビューします。
『反乱』
COM 1968年2月号『冒険者たち』(池内誠一名義)
現在はゴルフ漫画家として活躍中。
ゴルフレッスンコミックに連載の『ゴルフは気持ち』は連載22年目を迎えました!
ゴルフレッスンコミックに連載の『ゴルフは気持ち』は連載22年目を迎えました!
ちなみにプロゴルファーの池内信治の叔父にあたり、ニュークラブなどを彼がスイングして、それをモデルに漫画を描いてるらしいです(^^
前述した小山の『源とツグミ』。
クレジットを見ると、小井戸繁ーという名前が。
彼も赤目プロの作画担当として活躍した一人。
その後独立しペンネームを小井戸繁と変えました。
その後独立しペンネームを小井戸繁と変えました。
バラエティ 1977年10月創刊号『人間の証明』
また近年は小学館の「ドラえもん 人物日本の歴史」シリーズでおなじみ。
『源義経』をはじめシリーズの大半を小井戸が担当しています。
ふぐ正。
彼も『ワタリ』『カムイ伝』などに参加した一人。
その後一本立ちし「COM」1968年2月号の『口弦馬』でデビューします。
72年に池上遼一のアシスタントとなりますが、その後も作品を発表していました。
最後に赤目プロの所属ではありませんが二人ほど…
白土三平原作の『少年忍者 風のフジ丸』をコミカライズしていた久松文雄。
『スーパージェッター』『冒険ガボテン島』などで有名ですね。
『スーパージェッター』『冒険ガボテン島』などで有名ですね。
そんな久松も「小学三年生」で『サスケ』を描いていたのでした。
フジ丸はいかにも久松らしい絵でしたが、こちらは白土風に描かれています。
フジ丸はいかにも久松らしい絵でしたが、こちらは白土風に描かれています。
ラストは『カムイ伝』を描くかもしれなかった巨匠・平田弘史。
小島と競作したと前述しましたが、実は小島の諏訪栄名義同様、白土風の作品を加治一生名義で描いています。
『新釈 武士道物語 愛』
結局1965年になって「ガロ」に掲載されました。(1965年12月号)
そういや白土作品とは関係ないけど、大友克洋のアニメ『AKIRA』の題字を手がけたのも平田さんでした。
で、最近NHKでこの世界観で『東京リボーン』というドキュメンタリーが放送されてますが、ここでも平田さんが書かれてますね~(^^
いや~今日は書いたね!
大作だねっ!!(^^
大作だねっ!!(^^
それぞれの作品は今後紹介していくよ~
(参考文献・「赤目プロ研究」想田四、公益社団法人 日本プロゴルフ協会HP)